耳が聴こえなくても「賑やか」。手話と発話の飛び交う、さや佳さんの食卓。
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耳が聴こえなくても「賑やか」。手話と発話の飛び交う、さや佳さんの食卓。

障害のある人と、対等に接するとはどういうことなのか。多様性ある社会の実現が掲げられるいま、それは決して無視できない問いかけだ。けれど、明確に答えられる人がどれだけいるだろう。過剰にやさしくする、あるいは当たり障りないように関わる。どちらも違うような気がする。
今回お会いした安達さや佳さんは、耳の聴こえない女性。補聴器をつけてはいるが、外すとほとんど音が聴こえないという。一方、彼女のパートナーである由弦(ゆづる)さんは、聴者(聴覚に障害のない人)だ。
ふたりはどんな生活を送っているのか。その食卓の風景を通して、障害の有無を越えた“対等な関係”について考えてみたい。

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聴こえないさや佳さんと、聴こえる由弦さん

リビングに面したカウンターキッチンから、スパイシーな香りが漂う。くつくつと煮込まれているのは、牛すじと大根を使ったカレーだという。お玉を使ってぐるりとかき混ぜると、ホロホロになった牛すじがたっぷり入っているのがわかる。

「牛すじは丁寧に下茹でして、トータルで2時間半くらい煮込んでいるんです」と説明してくれたのは、料理を作ることが大好きな安達さや佳さん。味見をすると、満足そうな笑顔を浮かべた。

そのうち、カウンターにさまざまな料理が上げられる。叩いたキュウリと梅を和えたサラダ、湯剥きしたミニトマトのコンポート、桃にライムを合わせたマリネ、そして炊きたての玄米を添えた牛すじ大根カレー。

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さや佳さんのパートナーである由弦さんがそれをダイニングテーブルに並べていく。昼下がりの食卓は、色とりどりのお皿でいっぱいになった。

ふと由弦さんの手が止まる。どうやら、なにかを悩んでいるようだ。問うと苦笑いしながら答えてくれた。

由弦さん「一応、こうやって並べてはみるんですけど、さや佳さんはこだわりが強いので、ダメ出しされちゃうんです」

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さや佳さんは現在、食品メーカーに勤務しており、調理師免許まで取得するほどの料理好き。できあがった料理はより美味しそうに見えるように、レイアウトにもこだわるのだとか。

さや佳さん「せっかくふたりでご飯を食べるなら、味だけではなく見た目にもこだわりたいんです(笑)」

「どうしてそこに置くの!」などと言われながらも、由弦さんはどこか楽しそうだ。そうやって準備が整うと、ふたりは席についた。

ここで由弦さんが「いただきます」と声を上げる。その口の動きはとてもはっきりしていて、声も大きい。それはなぜか。耳が聴こえず、補聴器をつけて生活しているさや佳さんに、言葉をきちんと伝えるためだ。

由弦さんのいただきますを受けて、さや佳さんも手を合わせる。こうしてふたりのランチタイムがスタートした。

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「放っておけない」気持ちが膨らんでいった

さや佳さんは、生まれつき耳が聴こえない。左耳に補聴器をつけてはいるものの、音声よりも相手の口の動きを見ることで意味を推測し、コミュニケーションを取る。聴者と会話するときには、発話もする。けれど本来、第一言語にしているのは手話だ。

一方の由弦さんは聴者。ふたりの生活には、音声日本語(音声によって伝え、理解する日本語。話し言葉)と手話というふたつの言語が存在している。

出会ったのはいまから7年ほど前、2014年のことだった。

さや佳さん「わたしの職場に彼が転職してきたんです。当時、由弦さんはわたしのアシスタント業務を担当してくれていました。聴こえないことでどうしてもできない業務があるので、それをサポートしてくれていたんです」

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由弦さんにとって、それが“聴こえない人”と初めて出会った瞬間だったという。

由弦さん「それまでの人生で、聴こえない人は身近にいなかったんです。あるいは気づいていないだけだったかもしれないけれど、いずれにしてもきちんと向き合うのは初めてでした。でも、特になにか思うことはなかった。上長から『彼女は耳が聴こえないから、コミュニケーションを取るときは筆談をしてほしい』と言われて、『なるほど、そうすればいいのか』と」

さや佳さん「逆にわたしは、由弦さんに対して良い印象はなかったかもしれない。まだ若かったし、なんとなくチャラく見えたんだもん」

由弦さん「それはそのときだけでしょ(笑)」

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当時のふたりはあくまでも先輩後輩の関係。互いに異性として意識することもなかった。でも、社内でチーム編成が行われ、由弦さんはさや佳さんのアシスタントを外れることになった。この出来事が、ふたりの距離を一気に縮めることになる。

由弦さん「実は上長から、さや佳さんが新しいアシスタントとうまく連携が取れていないことを聞いたんです。さや佳さんは、アシスタントがいないと電話ができないし、顧客とのコミュニケーションもうまくいかない。なんだか心配になってしまって。それでお昼ごはんに誘って、それとなく近況を聞いたりするようになりました」

さや佳さん「由弦さんが違うチームに行ってしまって、それまで彼が支えてくれていたことに気づきました。初めはチャラい人だと思っていたけど、仕事は真面目にやるタイプなんだなって。そこで好感を持ったんです」

由弦さん「その後、ふたりで休日出勤することがあって、初めて晩ごはんを食べに行ったんです。それから仕事以外の話もするようになって、少しずつ関係が進展していきました。振り返ってみれば、『放っておけない』という感覚が強かったんだと思います」

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目を見て話しかけてくれたことがうれしかった

正式に恋人同士になったふたりは、自然と結婚を意識するようになっていった。でも、結婚となると、多かれ少なかれ互いの家族も関係してくる。そのとき、由弦さんの脳裏によぎったのは、「両親は、さや佳さんの障害についてどう思うだろうか」という不安だった。

由弦さん「障害の受け止め方って、世代によって異なると思うんです。ぼくは特に気にしていなかったけれど、高齢の両親は過敏に反応するかもしれない。それが心配でした」

でも、交際相手が耳の聴こえない女性であることを伝えたとき、拍子抜けするほどあっさり受け入れられたそうだ。

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由弦さん「聴こえないということがどういうことなのか理解できないのかと思い、詳しく説明しました。そうしたら、逆に『それになんの問題があるんだ』と言われてしまって。さや佳さんのことを否定するどころか、そのまま受け止めてくれた。とても驚きましたし、うれしかったです」

さや佳さんと交際していること、結婚も考えていることを、由弦さんが両親に打ち明けると、父親はすぐにさや佳さんに会いに来たという。広島県に住んでいるにもかかわらず、わざわざ時間を作って都内まで足を運んでくれた父親に、由弦さんは感謝の気持ちでいっぱいだった。

それでも、さや佳さんを前にしたとき、配慮に欠けた言動をしてしまうのではないか。考えれば考えるほど、不安が募っていく。

それは杞憂だった。

さや佳さん「初めてお会いしたとき、わたしの目を見て、わたしに向かって一生懸命話しかけてくれたんです。どうしても理解できないときだけ由弦さんに通訳を頼んで、それ以外はちゃんとわたしと話そうと努力してくれた。それが、本当にうれしかった」

由弦さん「ぼくら聴者は聴こえない人を前にしたとき、伝わらないことを恐れて、側にいる通訳ができる人に向かって話しかけてしまいがちです。でも、それは配慮がないし、聴こえない人たちを傷つけてしまう。これはさや佳さんと一緒にいて教わったことなんです。だから、父が自然とそう振る舞えていることに驚きました」

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食卓には音声日本語と手話が飛び交う

その後、無事に結婚したふたりは人生のパートナーになった。生活をともにするようになって、4年が経つ。ふたりで過ごす時間が増えれば増えるほど、由弦さんの目にはさや佳さんのような聴こえない人たちが抱える「生きづらさ」が見えてくるようになった

由弦さん「たとえば、名義変更をするとき。結婚してさや佳さんは名字が変わったので、クレジットカードや銀行のキャッシュカードの名義を変更する必要がありました。でも、それらの手続きは“基本的には”電話でしか受け付けていない上に、“基本的には”本人の申請じゃないといけないんです。彼女の耳が聴こえないことを説明しても、“基本的には”と言われてしまう。これってなんなんだろう……と思いました」

これはほんの一部だろう。聴こえることを前提に作られた社会システムの中で、聴こえない人たちは多くの不便を感じている。

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さや佳さん「そういうことに気づいてくれるから、由弦さんと結婚したんです。これまでにも、聴者とお付き合いしたことはありました。でも彼らは聴こえない人の不便さになかなか気づけないことも多くて。その点、由弦さんは同じ職場だったこともあって、わたしがどんな場面で困るのか、大変なのかを想定して動いてくれるんです。

かといって、過剰に反応して、なにもかもをやろうとするわけでもない。任せることは任せてくれる。阿吽の呼吸が成り立っている感じ。だからわたしも気負いせず、素の状態でいられるんだと思います」

4年が経つ間に、由弦さんの体には手話が染み付いた。たとえば、会社で誰かに話しかけられたとき、咄嗟に手話が出てしまうことがあるそうだ。さや佳さんの言語が自身にも馴染んでいる

由弦さん「特に数字や『どうしたの?』など、日常生活でしょっちゅう使う手話表現は、自然と出てしまうようになりました。でも、まだまだ完璧ではないですね。手話を身につけるのは簡単なことではありません。さや佳さんは発話もできるので、それに頼ってしまっている部分はある。だから、これからもちょっとずつ勉強していかないとなって思ってるんです」

由弦さんの発言を理解し、「じゃあ、これからはもっと厳しく指導しなきゃ」とさや佳さんは手を動かしながら笑う。それに対し、由弦さんも「勘弁して」と答える。

音声日本語と手話が入り混じった、その独特のやりとり。口をゆっくり動かして話していたかと思えば、無言で指差し、視線を交わすことでなにかを伝える瞬間もある。これはさや佳さんと由弦さんとの間にだけ存在する、“ふたりのコミュニケーション”だ。

それを見ていると、積み重ねてきた時間の長さと密度が伝わってくるように感じた。

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カウンターキッチンのある家を選んだ理由

ふたりの食卓は、とても賑やかである。忙しなく手が動き、笑い声も絶えない。会話の内容は他愛のないことがほとんどだというが、さや佳さんは料理について説明することも多いそうだ。

由弦さん「新しいメニューが出てくると、その作り方や材料、こだわったポイントなんかをきちんと教えてくれるんです。ぼくは料理ができないので、単純に驚きつつも、毎回丁寧に作ってくれていることに感謝しっぱなしですね」

さや佳さん「わたしは、褒めてもらえるとモチベーションが上がります。由弦さんには本当に美味しいものを食べてもらいたいんです。平日は彼の仕事終わりが遅いので、晩ごはんも別々に食べることがほとんど。その分、一緒に過ごせる土日くらいは腕によりをかけて作ったものを出したいんですよね」

由弦さん「そう、さや佳さんはふたりで食べる時間を大切にしていて。たまに『先に食べてていいよ』と言うと、怒るんですよ」

さや佳さん「一緒に食べたいんです(笑)」

由弦さん「お腹減ると機嫌悪くなるでしょ。だから先に食べていいよって言ってるんだけどなぁ(笑)。でも、美味しいものを用意して、一緒に食べようって誘ってくれるのはありがたいですよね。愛情を感じますし」

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ふたりはあまり外食をしない。家の中で過ごす時間が好きだという。それは互いが自然体でいられるから。

由弦さん「外で食べていると、ときには周りの目線が気になることもあるんです。でも、家の中なら気兼ねせず、リラックスできる。それになにより、楽しそうに料理を作っているさや佳さんの顔を見るのも好きなんです」

さや佳さんがカウンターキッチンに立っている間、由弦さんは彼女の顔が見える位置にいる。それは「楽しそうに料理を作っている顔を見るため」だけではない。ここには深い意味があった。

さや佳さん「家探しをするとき、カウンターキッチンであることが絶対条件でした。それは、聴こえないわたしにとって、“見ること”がとても大切だから。由弦さんに背を向ける形でキッチンに立っていたら、彼が話しかけてくれても気づけないし、うまくコミュニケーションが取れません。だからこそ、料理をしていても向き合うことができるカウンターキッチンのある、この家を選んだんです。おかげでいまは、料理中もお喋りしながら楽しい時間を過ごせています」

聴こえないさや佳さんと、聴こえる由弦さん。ふたりは今日も、カウンターキッチン越しに楽しそうに笑い合いながら、食事の準備をしているのだろう。

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聴こえない人の暮らしというのは、静かなものなのだろうか――。取材前に抱いていた疑問は、ものの見事に覆されました。さや佳さんと由弦さんとの暮らしは想像以上に賑やかだったのです。そして、音声日本語と手話が混ざり合う、そのコミュニケーション方法はとても魅力的でした。
ふたりがカウンターキッチン付きの家を探したように、ほんの少しの努力で障害のあるなしは越えられる。さまざまな属性の人たちに幸福な時間を提供したいと考える松屋フーズとして、ふたりの食卓からとてもシンプルで大切なことを教わった気がします。

取材:松屋フーズ・五十嵐 大 執筆:五十嵐 大 写真:吉屋亮 編集:ツドイ

ありがとうございます。
松屋は「みんなの食卓でありたい」を企業メッセージに掲げています。国籍、人種、性自認、趣味嗜好の多様性が表面化し、それぞれが尊重される現代の日本。この国における「みんな」とは何か。取材班が、各地の「食卓」にお邪魔し、人生を聴いて、2021年現在の「みんな」について考えていきます。